生いたち

・没落する小都市の職人の家の子として

「なおを身ごもったそよは、家計の窮迫を思って減児(堕胎)の心づもりであったが、姑の反対でなおを生んだという・・

「そよは、つらいことは自分ひとりで耐えてひきうけ、まだごく幼いなおには母親らしい愛情を注意ぶかく注ぐ女だったろう・・

「しかし、夫との関係はまだ困難をきわめ、一家は急速に没落しつつあったから、なおたちを保護し一家をささえるという役割を、そよは病身で懸命にひきうけなければならなかった。それは、表面的には従順で奴隷じみてさえいるが、じつはきわめてしんのつよいひとつの生き方であり、歴史的な背景をもった日本の民衆の生の様式であった。

 

 (安丸良夫出口なお』,岩波現代文庫)

 

・なおの自己形成

一家の没落と困窮
「なおの生まれたころには、そよのこうした生き方は、すっかり板につき確信的なものになっていただろう・・まだごく幼い乳児期のなおが、こうした母親にふかい一体感と信頼感とをもって結びつき依存することができたことは、その後のなおにとって重要なことであったろう。」(同p.6)

「そよは愛情ふかい熟達した母親として、なおを巧みにはげまし、なおのこうした発達段階をみのりあるものにさせただろう。倹約と几帳面と頑固の三つの性格特徴の共存が、この発展段階と結びつけられるものだとすれば・・なおのばあいは、よくあてはまるように思われる。・・そよは、病身ながら必死になおをかばい、その自己形成の時間と場とをあたえたはずである。しかし、母と子の小世界をとりかこんでいるもっと苛酷な世間の存在が幼いなおに自律性の獲得をいそがせ、またそうした性格特徴をつよめさせたのではなかろうか。」(同p.7)