伝統的村落社会の解体と右翼ナショナリズム

「この時期〔昭和初期の動乱時代〕、伝統的な風土にねざす思想の側から反権力の思想に対するナショナルな反発が激成されたのは、わが国の資本制が伝統的な村落社会と都市職人社会とを、はじめてその中核において分解しはじめたからだ、ということができる。」 

「・・・人口の圧倒的大部分を構成する村落民と都市流民とは、大正中期まで、共同体的まどろみのうちに閉ざされて、政治舞台にほとんど登場しなかった。彼らの意識の中核をなしている自然観、人間観、ないし価値意識は、西洋市民社会を貫徹する論理と決定的に異質だった。だから彼らは、明治新政府が導入した市民社会的諸体系・・を、全く理解不可能なものとみなし、もしそれと関わりをもたなければならぬことがあれば、天災のような災厄として諦め、出来うることなら、一生それとは無関係に、伝統的な共同体的倫理にしたがって生を終えることを望んだ。」(渡辺京二『維新の夢』,p56) 2018年6月2日

 「伝統的な村落社会と都市職人社会」の分解という現実、それを埋め合わせるように培養された基層生活民の天皇制的共同体幻想という基本的認識なしに戦前の右翼運動は理解できない。そのような構図は総動員体制のなかで消滅したのではなく昭和40年代くらいまでは残っていたといえよう。

「権力の思想と反権力の思想の区分・・・は共同体の圏外の住民である特権的エリートの思想分裂であって・・・彼らの生活に何ら具体的な作用をもたなかった・・・大正中期からはじまった社会の地殻変動は、いわば彼らを包んでいた繭を決定的に破壊したのである。血盟団のテロリストの出現は、そのような共同体民の、政治舞台への登場の象徴であった。・・・彼らを深部で動かしていた衝動は、まぎれもなく個への自覚であった。・・・移入思想としてのデモクラシー、ないし社会主義に同調できなかったのは、そのようなイデオロギーの担い手である都市知識人が、社会的に特権的なエリートとして存在し、下層青年たちの個への自覚が同時に、共同体的なものの再建への熱望でもあることを、まったく理解しようとしなかったからである。日本共同体民の伝統的心性が、反権力の思想的回路を設定しそこなった・・・戦後市民社会は、・・・全国民の近代的市民的統合を、一見みごとになしとげたように見えながら、深部においては、伝統的な心性がもっともラディカルな革命への衝迫をさそい出すという、矛盾をなおたたえ続けている・・・」(渡辺京二『維新の夢』,pp.57-8)